標本が語りかけてくる

バングラデシュ南西部の村にて。投網(khepla jal)を打つかっこいいおじいさん。

 

二十数年前、民族生態学調査のお手伝いとして、ガンジス川下流域にあるバングラデシュ南西部の村に入ったときのこと。出発前に、知人から「インド博物館に収蔵されている魚類標本を見てきてほしい」と依頼された。

詳細を聞くと、それはある魚種のタイプ標本で、論文発表のために標本の計測データがどうしても必要だとのことであった。タイプ標本とは、生物種の学名の基準となる特に重要な標本のことで、ホロタイプ、パラタイプ、ネオタイプなどがある。そのうち、新種記載論文で指定された単一標本がホロタイプであり、世界で唯一無二の存在である。

そこで、日本から直接バングラデシュのダッカへ向かうのではなく、インドのコルカタに飛び、インド博物館の収蔵庫を訪問した。理知的であごひげ豊かな学芸員が奥からタイプ標本を出してきて、狭くて高さのある薄暗い個室に案内してくださった。

頼まれごとでもあり、計測ミスをするわけにはいかない。関連論文を見比べながら計測や撮影を進めていると、まるで標本が語りかけてくるかのように感じたものである。ずいぶん古い標本なのに、ここにいるぞと自身の存在を主張していた。

魚類は標本管理が比較的進んでいる分類群である。例えば、高知大学には約15万点もの魚類標本が所蔵されており、2023年5月現在で172種1605個体のタイプ標本が保管されている。その中にはTosa Bay (Mimase)の基産地記載も多い。

高知の植物については牧野植物園に分布情報や標本が保存されている。一方、動物(哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、昆虫類等)については、標本と生息地情報を集約管理する施設が高知にないのが現状である。

県内で散逸の危機にさらされている自然史標本の保管や活用策を探る意見交換会が14日、高知市で開かれた。生物研究家らが、標本を管理する人の高齢化や受け入れ施設の不足といった現状を報告し合い、「早く県立博物館の建設を」「標本を管理し、活用できる人材が重要だ」などと意見を交わした。(20231016 高知新聞)

こうちミュージアムネットワークの谷地森秀二博士に聞いたところ、次のような現状を教えていただいた。

動物標本の現状を調査した結果、県内に約23万点の標本があり、そのほとんどが散財していることが確認された。多くは個人所有のもので、近い将来消失や県外流出が見込まれる。特に今後10年以内に消失する恐れがある標本がおおよそ7万点あり、緊急避難的に保管および管理する施設が必要である。また、将来的に高知県産の動物標本を保管および管理する施設を検討する必要があり、専門的知識を持つ標本管理者が常駐することも欠かせない。

2月には全日本博物館学会の主催で「生物標本の収蔵問題を考える」研究会が20日にオーテピアで、21日に牧野植物園で開催され、収蔵庫見学も予定されている。2月14日申込締切とのことなので皆さまぜひ。

標本が語りかけてくる声を聞き、未来の知見に体系化できるのは、標本が生息地情報とともに丁寧に保管されてこそ。豊かであるがゆえに忘れられがちな高知の自然遺産をどうか未来につなげたい。

20240117 高知新聞 寄稿

error:
タイトルとURLをコピーしました