学生時代、授業をさぼり、ひとりで四国山地を歩いていたことがある。物部川の源流にあたる白髪山でテントをはり、夜シュラフに入ってラジオを消すと、吹き渡る風の音しか聞こえなくなった。ところが、しばらくすると外になにかいるような気配がする。テントの周りを「ザッザッ」と歩く音がする。平日でもあり他に登山者を見かけなかったから、ヒトではないなにかだろうと思い、寝ることにした。その時、まるで細長い指で突かれたかのようにテントの幕が内側に押された。
四万十市の漫画サークル「四万十漫画倶楽部」が、幡多6市町村に伝わる妖怪伝承を漫画や文章などで紹介する「幡多妖怪地図」を制作したそうだ。8月中旬の発売以来、書店などへの問い合わせが多く好評で、発行部数も当初の500部から1000部に増やしたほか、同市に50冊を贈ったという(8月9日、9月5日 高知新聞)。
妖怪伝承の地図とは興味深い。日本では、平安時代の『今昔物語集』に始まり、室町時代から明治時代まで描かれた『百鬼夜行絵巻』、柳田國男が記した『妖怪談義』、水木しげるの『妖怪事典』など、豊かな妖怪伝承が育まれ、絵画化されてきた。野生動物をベースとした妖怪もいて今読んでも楽しい。
「幡多妖怪地図」には、幸福をもたらすという「佐田の大蛇」(四万十市)や、人に取りついて空腹や倦怠感を与える「ヒダリンボー」(三原村)、数々の妖怪を倒したとされる女性「岩井のおかね」(土佐清水市)などの伝承72編が集録されているとのこと。また、高知新聞の8月連載「とさ怪奇譚」には全7話が紹介されている。身近な話だとより親近感がわくものだ。
三原村の「ヒダリンボー」は、「ヒダル神」や「ダル」ともいわれる妖怪のことだろう。柳田國男は『ひだる神のこと』の中で「山路をあるいている者が、突然と烈しい飢渇疲労を感じて、一足も進めなくなってしまう。誰かが来合せて救助せぬと、そのまま倒れて死んでしまう者さえある。何かわずかな食物を口に人れると、初めて人心地がついて次第に元に復する。普通はその原因をダルという目に見えぬ悪い霊の所為と解らしい」と記している。ダルは、長時間行動中に急激な低血糖症状に陥ったことが要因とも言われる。山道を歩くときには予備食料を少しは持っておけという教えが含まれているのかもしれない。
同じ山道を歩いても、誰もが同じ風景を共有できる場合もあれば、人や場合によって見えたり見えなかったりする風景もある。まれな自然現象や野生動物の目撃が妖怪として伝えられているかもしれない。いつもは見えない不思議な風景の記録を楽しみたいものだ。
今月、「しまんと百鬼夜行」として、同市の天神橋商店街が妖怪だらけになった。また、四万十市の天神橋商店街振興組合では、新型コロナウイルスを撃退してくれそうなオリジナル妖怪のイラストを10月31日まで募集しているとのこと。不思議な体験をされた方や画力のある方は想像を最大限に膨らませて、新たな妖怪を誕生させてみるのも良いかも。
20201026 高知新聞 寄稿