
自動撮影カメラによる定点観測調査を実施。あちこちに Deer Line あり。
やぶの中、まるで平泳ぎをしているかのように、背の高さほどあるササ原を左右に掻き分けながら歩いていた。
眺望なし。テントなし。飲用水は1日2リットル。キスリングザックを担ぎ、汗だくになりながら、時おり地形図とコンパスで位置と方角を確認し、水をちょっと飲んで、また歩く。夕方、平坦地をみつけて撥水シートを張り、ラジオで気象通報を聞く頃、しとしと雨が降り出した。
これは1987-88年頃、高知大学在学中ワンダーフォーゲル部で高知と徳島の県境あたりを歩くブッシュ山行をした時の記憶だ。風光明媚な風景を見たわけでもないのに、いまだに強い記憶として残っている。水や道具のありがたみと、なにより四国の山の奥深さを実体験した。
2019-21年、仕事として久しぶりに剣山山系や石鎚山系に入り、特に剣山山系の林床の変化を目の当たりにした。シカ食害について聞いてはいたが、まさかここまでとは。ササ原は膝下までの高さしかなく、下層植生が少ないせいか遠くまで林内を見渡せてしまう。稜線上にでるとシカの通り道が縦横無尽についていた。
四万十市西土佐の山を手入れし、原木椎茸栽培を進める友人から「クヌギの萌芽がシカに食われてしまう」と聞いた。同地域で庭のプランターに咲かせたパンジーが食べられたという話もある。
冊子「危機に立つ四国山地の自然−シカ食害の進行のなかで−」は、四国山地をフィールドにする研究者など計17名により執筆されたもので、5月上旬に送っていただき拝読した。シカ食害によって衰退した下層植生やササ原、山の崩落などが写真で紹介されているほか、防鹿ネット設置など同会の活動も掲載されている。行動と客観的把握の両方を大切にした「動中静あり」の姿勢が伝わってくる内容である。
開始年時の小学生はもう成人されていることだろう。素晴らしい継続と広がりである。さおりが原は、谷筋の平坦地(ナロ)であり、高知大ワンゲル部員が当時のアイドル南沙織から名付けたと先輩から伝え聞いている。南沙織がデビューしたのは1971年。70年代の「さおりが原」周辺にはササ原が広がっていただろうか。
以前、高知市役所の食堂「せんだんの木」前で、同校が開発したシカ肉ハンバーガーを購入したことがあるが、とても美味しいものであった。新商品もまた人気がでることだろう。
冊子記事の中で「四国山地の貴重な自然遺産を守るための道しるべ」と依光先生が話されている。四国山地をめぐる一連の継続と広がりに要注目である。
20240419 高知新聞 寄稿