知らなかった

燻煙される宗田節

宗田節はボサ(シイカシ類を薪にしたもの)で燻して作られる。

ピーマンは熟すと赤くなる。いつも食べている緑のピーマンはいわば未熟な状態。自分で畑を作って実際に育ててみるまで、私はこんなことも知らなかった。

土佐清水市で「宗田節をつくるための森づくり」イベントが開催された(20141220高知新聞)。このイベントは、サンゴと森の救援隊(主催)と研究会はたのおと(共催)が開催したもので私も参加した。山でウバメガシの苗木を植樹し、宗田節製造工場を見学させていただき、宗田節でだしをとったうどんを味わうという濃縮された内容であった。

宗田節づくりには、ソウダガツオの腹を割って並べる「釜立て」、大きな釜で煮て肉質を引き締める「煮熟」、頭や内臓を取り除く「セイロ取り」、水分を蒸発させ煙で豊かな香りをつける「焙乾」、さらに乾燥させてうまみを凝縮させる「天日干し」という工程がある。そのうち「焙乾」をおこなうための薪(ボサ)として主にシイカシ類を用いるが、中でもウバメガシを使うのが最適なのだそうだ。

宗田節とウバメガシ。節をつくるには薪で燻す過程があることについて知識はあったものの、実際にその場に行き、仕事とされている方から教えてもらうことで、初めてウバメガシとソウダガツオが結びついた。私はこんなことも知らなかったのだ。

これを機に、焙乾(燻乾ともいう)について知見を少しでも深めておきたい。カツオは縄文時代の長七谷地貝塚から骨が出土していること、和銅5年(西暦712年)に献上された古事記や延長5年(927)に撰進された延喜式などに名前が記載されていることから昔から食用とされていたことがわかるが、焙乾による加工法が確立したのは江戸時代だったようだ。その頃、紀州日高郡で燻製によって乾燥させる焙乾法が考案されたらしい。

司馬遼太郎氏の小説に「紀州の漁師は黒潮の洗う土佐沖や薩摩沖まで出漁した。日本水産史(日本常民文化研究所)に採録されている記録によると、紀州日高郡の鰹舟が元和年間(1615-23)に土佐の西の幡多郡の沖にあらわれている」という記述がある。

明治時代に発行された「日本水産史(農商務省水産局)」には、延宝2年(1674)紀州の漁師が土佐湾近海で釣りあげた鰹を土佐の宇佐浦において焙乾法による鰹節を製造した。その製法を伝習するものがあり、それが世の嗜好に適して土佐節の名を得るに至ったと記されている。

どうやら江戸時代に和歌山県で考案された焙乾法が高知県に伝わり、その後カビ付け技術などが向上して、正徳3年(1713)刊行「和漢三才図会」の鰹節の項に「土佐の産を上と為す」と評されるまでになったようだ。この焙乾法がカツオのほかサバやソウダガツオなどに応用されたのではないだろうか。

今回の体験のおかげで、宗田節の製造工程や焙乾の歴史に好奇心をもつことができた。体験イベントは、知識を深めることではなく、知っていそうで意外に知られていないことを気づかせる効果にこそ実施意義があるのかもしれない。

人間の好奇心には強い指向性があるらしい。自分がすでに知っている事柄をもっと知りたいという欲求がある一方、脳は自分の認識と異なる事実は無視しやすいとのこと。これはある意味恐ろしいことである。私の脳がピーマンは緑色だと思い込んでいて赤い完熟ピーマンの存在は無視していたように。このようなことは他にもたくさんあるだろう。

知らなかったことを気づかせてくれる経験はずいぶん心地よいものである。

20141229 高知新聞 寄稿

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